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「機械的唯物論」者の日記

1 :私事ですが名無しです:2008/04/07(月) 11:42:22 ID:3OdZc4Fj0
神経症の症状に過剰な懐疑がある。たとえば恋人はほんとにオレが好きなのだろうかと、
恋愛は多くにおいて人を懐疑的にする。あるいは人に裏切られると、友達が影でオレのこ
とを馬鹿にして笑っているのではないだろうかと懐疑的になる。さらには人々が使う手すり
などがさわれない。食堂の食器が清潔か気になるなどの神経質、潔癖性。それが過度に
なると、この椅子の足が壊れないとなぜ言えるのだろうか。FBIの工作員がオレの命を狙
われていると、妄想的になる。

しかし一般的に正常と言われる人々よりも、このような懐疑の方が正しい。たとえば人工知
能を作る場合に、まさにこのような問題に陥る。ある状況の中でもっとも適切な判断を行う
ようにする場合に、状況の可能性が無限に存在してしい、無限後退に陥る。まさに神経症
的な究極的な懐疑である。

「正しく」は人はこのような懐疑に陥らなければならない。しかし人はそのようなことがない
ようにただ現実を生きているように見える。それは、人はどこかで盲目に信じる基盤がある
からだろう。それは現実(リアリティ)とはなにかということであり、なぜコミュニケーションが
成立するのかという本質的な問題である。

2 :私事ですが名無しです:2008/04/07(月) 11:45:33 ID:???0
ゼノンの誤りは、パルメニデスの説を擁護しようと
する余り、運動の矛盾から、その不可能を直接に結論した
ことにある。矛盾から不可能を導出した時、ゼノンは
暗黙に矛盾律を絶対視していた。

しかし、ここで矛盾律を大原則とする形式論理が、そもそも
時間性の捨象の上に成立しているという特殊事情を想起
しておこう。ゼノンの背理が破壊的なのは、時間性を捨象する
形式論理を絶対視する限りにおいてである。

ゼノンは運動の矛盾からその不可能を直接に導いた。しかし、
その背理が背理なのは、時間性を捨象する限りにおいてである。
時間の流れなしに、運動は起こりえない。ゼノンの背理が示してい
ることは、時間性が捨象しえないアプリオリであるということに
過ぎない。そして、時間が流れる世界では、矛盾律は近似的にしか
妥当しないということを付け加えておこう。



3 :私事ですが名無しです:2008/04/07(月) 15:24:55 ID:???0
知識増大による頭脳の稼動困難。

<文脈に捉われる><単語への特異な着目><論理外の事象に気が回らなくなる>
これは脳内に分野に特化した関連枝が生え(哲学以外でも)、色々に引っかかるのが原因。
この障りを受けて、脳内の処理(計算)が極度に飽和してしまう現象による。
SF作家自身も詰め込みすぎでこのジレンマを起こす。

SFなどは発想を楽しむものであり、読語力と理解力があれば十分で、他はうんちくに過ぎない。
また、自在すぎる脳みそはかえって、どんな小説(物語=劇)も飲み込むことができない。
(評論化が限定的ジャンルへの定まった常識を持つ事。セオリーの観点)

発想は多様な情報から活動を得る。
発想に対抗しうるのは同じ発想であるが、発想そのものは情報集積のみでは獲得できない。
そして脳は純思考を追求すると活動がフラットになってしまう。
(脳が電気をではなく信号として利用するので肉体が省エネしてしまう為)

実際は「喜怒哀楽」「愛好嫌憎」などの情動のほうが電気的には強烈で、(体運動もこれに同じく)
これら感情・感覚による刺激が発想の獲得には強く貢献する。
これらの志向性を情緒と言い、とくに幼少期の内の容量確保(厳密には質的確保)が大事とされる。
成人後も磨耗を予防する必要があり、また人生のいかな時期でもこれは変動する。
なお、減衰すると心が機能できなくなる。
(無論、ここでの心は物理形象である。失わせるには気質操作の壁があり、消えることはまず無い)



4 :私事ですが名無しです:2008/04/11(金) 00:07:24 ID:hvHvQuyz0
巡洋戦艦榛名

5 :(4w4)っ● ◆4w4.pcSySw :2008/04/11(金) 00:28:09 ID:???0 ?2BP(615)
>>2が難しくてわかんない。

6 :私事ですが名無しです:2008/04/17(木) 09:58:42 ID:???0
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。


7 :私事ですが名無しです:2008/04/17(木) 10:01:29 ID:RYe6wS6H0
自分はやれることなら全部やるよ。
好きなことも嫌いなことも。
シュタイナーの言うような霊的な認識や、明晰な思考を得るための
諸事情をもちろん試みながらね。

テーマならそれこそ自分に見合ったものを自分で認識するんだから
やりたいようにやればいいよ。
その程度の認識経過で怯えていたり、恐れがあるなら
それこそ拭い去るべきとこであって、自己認識を変容させに行くよ。


8 :私事ですが名無しです:2008/04/17(木) 10:02:35 ID:RYe6wS6H0
決定論を否定するために、偶然などを持ち出して批判する事があるけども、このような批判は成立しない。
自由意志とは自己決定権の事であり、自分の意志で結果を決定できるという事である。
自分の意志が及ばない偶然に翻弄されて、結果が決まるとすると、自由意志は否定される。
因果性を否定して、結果が偶然に翻弄されて決まる、とすることを運命論といい、決定論とはいわない。

偶然の介在を認め、偶然性が存在するとすると、「偶然とは自由意志の及ばない要素」という意味であるから、
自由意志は否定されるのである。結果が自由意志とは無関係の要素によって決まるというのだから。
因果性を認める決定論は、不可知と両立し、この限りにおいて相対的に自由意志が認められるのである。

この指摘は数年前に西脇与作の論考で読んだ覚えがあるのだが、参考文献を幾つか挙げていたので、
同様の指摘をしている哲学者は他にもいると思われ、それほど特異な見解でもない。

カントを見れば判るように、純粋哲学と応用哲学(実践哲学)との間で齟齬があってもかまわない。
法哲学などの応用哲学で、刑法上の理由を挙げて自由意志を肯定する意見もあるが、
「法学上の範囲で自由意志の存在が要請される」と規定すればいいだけであり、
純粋哲学上の結論を、応用哲学に持ち込む必要も無く、両者が矛盾していても差し支えない。
従って、法学の要請を持ち出して、純粋哲学を論難しても無効であるし、応用哲学に純哲が翻弄されるいわれも無い。
ましてや、俗流人生論を持ち出して、感情的に反発する行為は言語道断であり、不当な要求は否定される。
決定論を、キリスト教神学の「予定説」と同一視するのも間違いだ。どちらかといえば仏教の縁起論に近い。
決定論を否定すれば縁起も否定され、龍樹も否定されるのである。

そもそも人生論など、哲学の範疇ではないのだ。純粋哲学だけが哲学である。
純哲は事実解明する営為であり、人生などに言及する応用哲学(実践哲学)ではない。
もちろん存在論たる唯物論や機械論、決定論も世俗から離れた存在論的考察であり、
人生や日常生活などに言及するものではないし、援用するのものでもない。
応用哲学たる法哲学や、俗流人生論などを振りかざして感情的反発しても、批判に成らないのである。


9 :私事ですが名無しです:2008/04/17(木) 10:03:36 ID:RYe6wS6H0
「信仰」という概念がかなり幅広いということが問題といえば問題なのだと思います。
日本人は「信仰」というと普通「宗教」を想起しますが、ラビさんがおっしゃっているのは
もっと広い意味だと思います。
敢えて名付ければ「信憑」?ということになりますが、(自然)科学は「経験に基づいた信憑」
を基礎にして発展してきました。
 自然科学の「現在」は過去に行われた「観測」とそれに基づく「仮説」それを実証するため
の「実験」・・というプロセスで発展してきました。
 その根底にある思想は「世界(自然の全体=この宇宙)はある規則性を持って構成されており
その規則性は(人間が発見しているかしていないかに拘わらず)最古の過去から遠い未来まで
宇宙の右の果てから左の果てまで『変わらない』」という「基本的信憑」なのです。
 その「基本的信憑」を疑ってかかること(詭弁を真実ること)が有効ならば、そもそも
(自然)科学など発生もしないし、発展もしない(であろう事が推測される)ということです。



映画監督は普通は「作家業」というより「ディレクター業」に近いでしょう。
勿論自分で脚本を書き下ろす監督もおりますが、そのパーセンテージはごく低い
と思われます。
 「作家の想像力」は作品に力を与え永く人々に読み継がれます。
 サイエンスフィクションの分野ではジュール:ベルヌ、H.G.ウェルズ、
アーサーC.クラーク等、「純文学に匹敵する巨匠」も何人か存在しますし、その
「巨匠である理由」は(純文学と同様ですが)「想像力」に他なりません。
 私達がウェルズの(例えば)『宇宙戦争』を読んでも(当時の科学のレベルを勘案しても)
その(作家の)「驚くべき想像力」によって、作品にぐんぐん引き込まれてしまいます。
優れた文学作品と単なる駄文とを弁別する大きな要因は「想像力の多寡」なのだと思います。

10 :私事ですが名無しです:2008/04/17(木) 10:04:25 ID:RYe6wS6H0
ハンニバルさんが重要視されている「証明」ですが、
そもそも「証明をする方法」を決めておかねば、
どんな証明をしてみても「意味がない」ことになります。
その「証明をする方法」の前提にあるのが「公理」であり、
その「公理」自体は「誰も疑うことが出来ない事項」として、
何かの命題を「証明する」前提として「これは誰が何時考えても疑い得ない命題ですよね」
ということとして(「証明する」ことの前提として)定立する必要があります。
従って「公理自体は証明しない」という大前提があります。
 数学の世界と同様に、現代の自然科学では「基本的な物理法則」は「疑い得ない所与」として
「大前提」となりますので、「(数学的)公理」と同様、それを疑ってかかる(自然)科学者は
居ない・・ということです。


11 :私事ですが名無しです:2008/04/17(木) 10:06:16 ID:RYe6wS6H0


421 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/09/18(火) 01:20:52 0
何度も申し上げているとおり「弁証法」(に則った変化)を自然科学
(例えば物理化学)で、観測した事実は一度も報告されておりません。
 「弁証法という進歩(進化)の唯一の方法」とは、観念論の集大成者ヘーゲルの
頭に浮かんだ「幻想」にすぎないのです。
 それを唯物論に適用しようとしたマルクス:エンゲルスは根本的な過ちを犯した
・・ということです。

422 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/09/18(火) 01:31:31 0
機械の攻撃的態度は相変わらずじゃなw


12 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

13 :とすげ ◆eeDSEEDXRE :2008/04/17(木) 12:30:38 ID:???0
>>12
?????

14 :私事ですが名無しです:2008/04/17(木) 14:53:19 ID:???0
なんだかんだ言って人間とは何者かを解明しようと自己に真正面から対峙して
自身の内面を他人に曝け出すことを厭わなかったユングとフロイトが一番偉い

あとは只の二番煎じ、ゴミ以下


15 :私事ですが名無しです:2008/04/18(金) 05:38:11 ID:???0
ぼーぼーぼ ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ

16 :私事ですが名無しです:2008/04/19(土) 06:59:01 ID:???0
ああ、また日常の中に置き去りさ
毎日死んだように生きてるさ

17 :私事ですが名無しです:2008/04/21(月) 00:25:47 ID:???0
>>16
なんとかってスレで見かけるなんとか姉妹って香具師だろおまえ

18 :私事ですが名無しです:2008/04/26(土) 06:51:18 ID:???0
きーきーきー

19 :私事ですが名無しです:2008/04/27(日) 06:37:03 ID:???0
味噌汁にがいです。

20 :私事ですが名無しです:2008/04/27(日) 21:49:08 ID:???0
>「確率」によって「殺人」をしてしまい、逮捕されて有罪判決。しかもそのとき後付で「自由意志」によって殺人したことになる。なんとまあ理不尽な世界なのか…

サルトルの友人アルベール:カミュの小説『異邦人』のようですね。英語で言えば「アウトサイダー」でしょうか?
「今朝ママが死んだ」と無感動に語る主人公ロカンタンはほんとうにある偶然で人殺しをしてしまったのですが、
彼の実感では「あれは太陽が眩しかったから引き金を引いただけだ」ということでそれで弁明しますが、裁判所は死刑を宣告する。
実存的な疑問「この世は果たして生きるに値する世界なのか?」という「不条理感」が漂った作品です。


21 :私事ですが名無しです:2008/06/26(木) 11:37:12 ID:Dc5H00na0
813 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/06/25(水) 23:55:50 0
>>809
私はハンニバルさんの機械的唯物論に対する強烈とも言える興味は
実は機械的唯物論が真理である一つの証であると思います。
ハンニバルさんに「出て行け」とか「このスレを覗くな」とか命令するのは
そもそも出来ないことであり、間違いであると思います。
いくら荒らしを繰り返すとしてもハンニバルさんの人的コミュニケーションの場が
ここしかない可能性も否定できませんので、私は「排除」という考え方には賛同できません。

本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。

22 :私事ですが名無しです:2008/06/26(木) 11:37:42 ID:Dc5H00na0
811 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/06/25(水) 23:41:37 0
>>795
議論が本質に向かって来ているような気がします。
「機能と構造を混同すると間違いやすくなる」というのは基本的に留意しなければいけないことだと思います。
脳が構造分化しているのは、それぞれの構造が司る機能が同じではないからであり、
極端な話足のつま先の神経でも痛みを脳に伝えるわけですから「意識の一部を担っている」ことになると言うことは出来ます。
意識は脳を始めとする神経系の身体構造の機能の「一部」ということになります。
他の「一部」はフロイトの言う「無意識」・・・「潜在意識」=意識化出来ない脳の「機能」である
・・ということになります。

23 :私事ですが名無しです:2008/06/28(土) 09:55:56 ID:HZWMw7hk0
915 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/06/28(土) 00:07:24 0
原油の価格高騰は確かに憂慮すべき事態ではありますが、資本主義の市場原理が
働く限り、価格は「需要曲線と供給曲線の交点で決まる」ということに変わりはないので、
需要が無限に拡大しない限り「何処かの価格で落ち着く」訳で「無限に上昇を続ける」ことは
あり得ません。
 その「何処かの価格」が1バーレル200ドルなのか1000ドルなのかは今のところ不明ですが、
仮に1000ドルになっても今の日本経済が消滅することはないでしょう。
 日本には「物造りの技術力」に関する基本的なパワーがありますし、最近ではX−BOX360や
PS3に(PS2時代では完全に負けていた)「勝った」任天堂の発想力というものまで付加されて
おります。
 一時代前のオジサン達には「任天堂なんて所詮花札屋だろ?」という偏見を抱いている方が非常に多い
のは事実ですが、任天堂は「時価総額第3位の企業」になったことの意味を考えなければならないと思います。
 要するに「想像力=創造力」が「付加価値を生み出す」という経済現象が目の前に生じているのであり、
その現象を前にして「労働者が流した汗と涙が付加価値を生み出すのだ」という労働価値説を唱えることなど
「時代錯誤」も甚だしいことです。
 要するに弁証法的唯物論などは「近代に成り立ての時代の一夕の夢」だったということです。

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